台湾の役戦没将兵慰霊
特別養護老人ホーム慈恵荘に隣接する東側の丘に白亜の塔「奉安殿」と金色に輝く観音菩薩像が建立されております。
このうち奉安殿は、日清戦争後の台湾の役で戦死した近衛師団将兵の遺骨96柱を安置して英霊を祭祀し永く御霊を慰めるため、全国の近衛師団をはじめ旧軍人の戦友会、更には長崎県下の自衛隊有志など多くの方々のご寄付を賜り、台湾の役戦没将兵遺骨奉安殿建立奉賛会によって昭和62年1月設置された慰霊塔です。(奉賛会の役職者名簿)
当社会福祉法人恵光会の遠山海光理事長が37年前の若かりし日に台湾の草尾嶺の山中から発掘された戦没者の遺骨を祖国日本に帰還させ、さらに遺骨を安置するための奉安殿建立という困難な事業を完遂させましたが、これは日蓮宗妙寿寺の僧侶として同胞として「何としても異国で眠る将兵の遺骨を一刻も早く祖国に帰還させ供養してあげたい」一念で全精力をつぎ込み東奔西走したからに他なりません。
この奉安殿建立は、長崎県及び大村市の郷土歴史の1ページを飾るものとして、また、二度とこのような悲惨な戦争を起こさないためにも、永く後世に伝えていかなければならないものと思われます。
参考情報
請聘状の概要
この請聘状は、遺骨と慰霊の状況を記述しており、参考になると思われますので、別紙に要約しました。
北白川宮能久親王殿下の銅像
近衛師団長であらせられた北白川宮能久親王殿下の銅像が、東京都千代田区の「北の丸公園」の南側、近代美術館工芸館横に設置されております。
また、この近代美術館工芸館は今では珍しい赤レンガ造りとなっておりますが、これは旧近衛師団司令部庁舎を保存し活用されたものですので、あわせてご紹介いたしました。
お近くに行かれたときにご覧いただければと思います。
北白川宮能久親王殿下の略歴
1847年(弘化4年) | 伏見宮邦家親王第九王子としてご誕生 |
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1858年(安政5年) | 上野寛永寺の門跡 |
1870年(明治3年) | プロシャ国(現ドイツ)に留学、兵学を学び、明治10年帰朝 |
1884年(明治17年) | 陸軍少将 歩兵第1旅団長 |
1892年(明治25年) | 陸軍中将、その後第6・第4師団長を歴任 |
1895年(明治28年) | 近衛師団長として5月に台湾出征、同年10月28日台南にて疫病で薨去(こうきょ)後、陸軍大将に任じられ、大勲位菊花章頸飾等を賜り、国葬となる。 |